明日は浜松のトライアルですが、それはともかく『R.O.D』の新刊がようやく発売されましたね。黒歴史と呼ばれた番外編の10巻を経て、ようやくラストまで後1巻です。世間の話題的には『マブラヴ オルタナティブ』に喰われちゃった感がありますが、個人的にはR.O.Dの方を待望しておりました。

しかし、読子さんの魅力というのは喪女の魅力だと思うのですが、今回ページの大半を占める過去回想シーンでの若い頃のデレ期もいいですね。ドリーとの夫婦漫才を見ていると、なんかこう、脳内の未知なワールドが開発されていく気分であります。

今の心理状態↓↓↓

   _  ∩
  ( ゜∀゜)彡 読子!読子!
  (  ⊂彡
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   し ⌒J

また、復活関係ということで無視できないのが、来月号のアフタヌーンから植芝理一の新連載が始まります。植芝理一と言えば、「摩訶不思議恋愛漫画」と呼ばれる『ディスコミュニケーション』で「わたしはどうしてまつぶえくんをすきになったんだろう」という問いとともに、ユング心理学とか民俗学とかを借用しながら人間存在を追求した、長大な物語です。評価は様々ですが、個人的には大傑作だと思っています

で、それが『冥界編』なのです。
そのままで終わっていれば、素直に伝説の作家になれたと思います。

『冥界編』の後の『学園編』『精霊編』などにおいては、ネジが緩んだのか、地が出たのか、追求されるテーマがフェティシズムになってしまい、

・演劇部の最終目的が男子部員にウエディング・ドレスを着せて女装大会で優勝すること。しかも、その男子部員は野球部員とくっつく(もちろん男同士)。

・幼馴染の女の子の体に落書きすることが生きがいな美術部員二人。ちなみに女の子をめぐって争っていましたが、「二人で昔みたいに・・・・・・仲良く菫の体に絵を描いて」と当の女の子に言われて和解。

幼児退行した女子高生二人に幼稚園児の格好をさせて舞台に上げ、遊んでるところを鑑賞する。

など、常人には理解しがたいワールドを構築していきました。なお、これらはあくまで一例であり、他にも生徒と本気で恋愛する小学校教諭とか放尿とかフェチ光線とか、本当に色々とありました。

そして、ディスコミュニケーションと緩やかに世界観がつながる『夢使い』において、「女子小学生が性転換して、少女のままの自分自身と愛し合うのが究極のエクスタシー」という理論を展開し、別の意味で伝説になってしまいました。
女の子たちが教室でそれぞれ繭みたいな空間に閉じ込められ、一斉に****を始めるシーンは当時中学生だった僕の脳内に修復できない傷を与えました。

もちろん評価は『冥界編』よりもさらにわかれました。もちろん僕は大好きです。ですが、好悪にかかわらず、「とりあえず作者は変態」という意見は共通認識になってしまいました。

そんな植芝理一先生の新連載が来月号のアフタヌーンから始まります。今度はどんなフェチを見せてくれるのかと、今からワクテカしております。

また、夢使いはどうやら4月からアニメ化もされるみたいです。まだ詳細は未定ですが、少なくともR15指定にはしないと、確実に犠牲者が増えると思います。

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